2012年1月14日 (土)

大河書房「弘前城手廻組藩士の日常と世相 楠見甚之助勤務控え」

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2011年も押し迫った12/27、社長の佐野さんに、
大河書房の新刊「弘前城手廻組藩士の日常と世相 楠見甚之助勤務控え
についてお話を伺いました。

以下、佐野さんのお話です。

楠見甚之助(くすみじんのすけ、1715~1743)は、江戸中期の人で28歳で亡くなりました。
著者のうち、鈴木元子・鈴木まどかさんらは母子で、楠美の子孫にあたります。

 彼女たちの先祖探しの一環の出版ですが、
元子さんが、弘前の図書館で「楠見甚之助の日記」があるのを発見したことが
大きかったようです。彼女らが、解読したものを元に要約し、整理したものが本書です。

楠見は弘前城に勤めていた藩士で、藩の名は弘前藩とも津軽藩ともいいます。
殿様は津軽信寿や津軽信著という名前です。

楠美家は殿様の身の回りの世話をする軍事方として勤め、
たとえば殿様が夜まで知人の家に行くことになると、ずっと番をしている。
それが朝までとなると、一度自分の家に戻って出直したりする。
宿直や城下町の夜回りも行い、火事があれば消防士の役回りもこなす、
そんな仕事をしていたようです。

昨年の2011年は弘前城築城400年記念年の年で、
そのためか、地元ではこの本はけっこう売れました。

地元紙の東奥日報の12/4号、
毎週日曜日の「読まれています」蘭で、週間順位で10位を獲得(写真)、
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また陸奥新報の書評欄にも取り上げられています。
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2009年9月 5日 (土)

21世紀の本の香り

Dsc00299  2009年8月29日。第一回西行学会が開かれ、懇親会も30人以上の出席者で行われました。

場所は渋谷の國學院大学。

 西行といえば、もともと歌のうまい武士で、失恋か何かを契機に若くして出家、新古今和歌集にも90首以上入っている歌の名人です。

「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」という歌そのままの生き方をしたとされています。

 でも私は、新しく作る「作家・著者ブログサイトG」を宣伝するために伺ったのでした。

 つまり、歴史学や民俗学、文学の本の読者であり、著者である先生方に、「今度本を出版されるときは、このGサイトでブログを書いて宣伝してください」と言うために。

 でも、あ~、マイクを持って宣伝までさせていただき、さらに半分くらいの先生方に「先生の本を出すときに、ブログで一言書いてください」と直接声をかけましたが、「ブログですか、いや~、書いたことはないですよ、すみませんね」という答が99%。14人目に奈良の大学の先生で、プログラムコードも書けるという女性がいましたが、「ウィルスやハッカーが怖くてブログはやらない」とおっしゃていました。

15人目に声をおかけした比較的若い先生は、「パソコンは使いますよ。ハハ。ネットにはつながってなくて、自分の家と研究室のパソコンをフロッピーディスクに入れて往復するだけです。論文だけですから」と笑っていらっしゃっいました。

 以前、中公の編集長だった粕谷さんが「文学とコンピューターはまったく関係がない」とおっしゃっていましたが、う~ん、その中でも国文学は最も関係がないかもしれない。

(国文学だけでなく、歴史学や宗教学など様々な分野の業際的な学会としてこの西行学会が立ち上がったそうです。さいぎょうを逆さに読むとぎょうさいですから、なるほど、そうなんでしょう…ぉぃぉぃ)

 でも皆さんとても暖かくて、近くにいらっしゃった橋本先生にかくかくしかじかとお話したら、中心の西澤先生につないでいただいて、その西澤先生が、司会の人にブログを宣伝したいそうだから、させてやってくれ、とおっしゃってくれたのです。

あ~そうそう、もちろん「岩田書院さんでお世話になっているスピークマン書店です」と申し上げて、OKをいただいたわけです。

 皆さん、世界は変わっている。大きく。
グーグルが著作権無視で絶版本を公開するし、アマゾンはもうすぐキンドルを持ち込んで日本の出版の主要勢力になろうとしている。本のその過半数が、本の姿であるのは、あと何年、十何年、でしょうか。

その時、ブログは直接、キンドルのデータにリンクするかもしれない。20世紀の常識は、まもなく戦争と革命の時代・20世紀型人間の生き様として、歌で詠まれようになる。

「願はくは本の下にて春死なん、そのきぎの香の望月のころ」

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2009年7月30日 (木)

ロボットの自己実現

Hanayome  東大ではピッチャーロボットと、その球をすべて打ち返すバッターロボットが、
産総研では人間にそっくりの表情を見せる花嫁ロボットが作られました。

 でも剛速球をカキーンと打ち返すバッターや
ウェディングドレスを着て嬉しそうに歩く花嫁は、
もともと人間の目的だったんじゃないでしょうか。ロボットは人間の手段。だった。

 むかし、中学生の頃、技術家庭科の時間に「おもちゃを作れ」という先生
(タニセンと呼んでいた)の指示で、
自転車に乗った人形が、くるくる足を回す「機械」を作りました。

 でも先生に見せた途端、
「こんなつまらねーもん、オモチャなんかじゃねぇ」と、ひどい点をつけられた。

「針金の人形が自転車に乗って足と車輪を回す仕組み」が面白いだろうと思って、
けっこう頑張って製作したと思います。
その間ずっと先生は見ていて、できて見せに行ったら、
つまらないからダメと言われたわけですが、
それに、仕組みや技術に面白みや発展の余地がある
と子供心に思っていたわけですが、
たしかにそんなもの作っても遊ぶ道具としては意味がなかったかもしれません
(そんな審査基準があるなら最初からおっしゃっていただければようござんしたねぇ)。

 よく言われるように、日本は手塚治虫の影響で、ロボットにロマンを求め、
世界最先端の技術を持つようになったと思います。

 でもその結果が、バッターロボットや花嫁ロボットなら、
ちょっと目的をしっかり考え直した方がいいんじゃないでしょうか。
目的の曖昧な実験は恐ろしい。努力が無意味になりますから。

飛行機は目的地がないと飛び立てないし、
目的を失うことで五月病にも鬱病にもなります。
達成してしまった目的は、食べ終えたヌードルのカップみたいな感じでしょうか。
曖昧な目的は、在庫の山か。

 たぶん欧米は、掃除用だったり兵器だったりと
ロマンのカケラもないような優れたロボットをたくさん生み出してくるでしょう。
その方が目的がはっきりして、作りやすいから。
それに楽園の子孫だから、ロボットに仕事をさせて、
自分は楽をしたいという気持ちがはっきりしているでしょう。
ロボットに人間の目的を達成させることに、関心がないんじゃないでしょうか。

 もし目的が、人間の代替物を作ることなら、
それは国家プロジェクトだし、なぜそこに税金をかけるのか、
どういうメリットがあるのか、もっと説明しなくてはならないように思います。

 日本人もこの間までは、目的がはっきりしていました。
物質的な豊かさを求めていた時代です。

 生物は、30億年以上もかけて
進化しながら目的を受け継いできました。
与えられた体の中で、幸せを追求すること。
何を幸せと感じるかというと、
腹いっぱい食べること、健康で長生きすること、子孫をちゃんと残すこと。
それは、肉体が快感だと感じる方向と同じでした。
でも、精神的豊かさが言われるようになってから、おかしくなってきた。

30億年の生物の歴史の最後で、
ついに目的を見失い、受け継げなくなった生物は、この後どの方向に進化するのか。
曖昧だと退化するっていう方が、けっこう理屈のような気もします。

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2009年6月30日 (火)

不思議なともし火

Dvc40290  美術館でも画廊でもそうですが、
絵は、明るいところで見るのが当たり前です。
そうしないとカラフルな絵がカラレスになりますから。

でもこの6月末に開かれた
「TOKYO MiLKY WAY」は、
そんな常識を吹っ飛ばしてくれました。

「私達は、東京都心で銀河を観られるように、
ネオンで覆われた街に美しい光を取り戻すような
豊かなライフスタイルを提案します」
という「100万人のキャンドルナイト 2009夏至」
は、環境ボランティア系の催しのようですが、
銀座でも、燈した蝋燭の灯で画廊の絵を見る企画として実現、
もう何回もやっているんだそうです。

 私は、銀座1丁目のギャラリーツープラスの画廊主に、
「引率する人間が足りないからやってくれないか」と
誘われて、参加することになりました。

 昔の西洋・中世では、教会の中の美術品を
蝋燭の灯で見ていたということですから、
暗闇に灯を燈して見るということは、ふつうに行われていたのでしょう。

 考えてみれば、見る側の見方や気持ちや価値観を
絵の中に織り込んで、それを美術史として発展してきたのが西洋美術でしょうから、
もし、蝋燭で彩度の落ちた絵を個性的に描けば、
新しい画風になるかもしれない、そんな想像もできる企画でした。

 昔の西洋人は、夜、蝋燭の燈された教会を出れば、
真っ暗闇の空には天の川がかかっていたでしょう。
中世の絵はみなキリストの物語でしたから、
夜空に横たわる川と教会のキリストの絵と蝋燭は、
死後の世界や神と結びついて、人々の信仰と切り離せないものになったでしょう。

 蝋燭で見た銀座の絵には、天の川と信仰が足りませんが、
かつての演出効果を楽しめるすてきな夜になります。
「ボランティア」と「キリスト教」は結びついているんでしょうから、
東洋の果てにやってきたキャンドルナイトに、
こういう効果が出るのは「必然」なのかもしれませんが。

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2009年5月31日 (日)

動画の時代

 ユーチューブの成功が物語るように、
インターネットも、静止画でサイトを飾る時代から
動画を載せる時代にしだいに変わりつつあります。

 でも人生がもし、痛みや快感つきの動画であるとすれば、
自分の人生のほとんどが退屈な、あるいは不安な、
また他人の欲を満たすために仕事で苦労している日々の動画で、
それを何十年も見続けていることになります。
この動画を支配しているのは、たまーに起こる快感への希望でしょうか。

 休憩時間は夜にやってきて、パジャマに着替えますが、
休んでいても動画を見ることもあります。夢というやつです。
結局、寝ても覚めても動画なのであります。
自分が動画なのですから、仕方ありません。

 私たちはこれまで、静止画を大事にしてきました。
アルバムに貼って、折を見ては見返したり、
携帯の待ち受け画面にしたり、額に入れて居間に飾ったり。
この100年間、静止画は、動画である人生の一部を切り取った、手軽に扱える思い出でした。
一瞬は、100倍してもやはり一瞬で、取られる側も見る側も一瞬ですみました。

でも、動画はそうはいきません。
時間もかかるし、エネルギーも使う。
つまらない写真・静止画は、黙殺すればすむのに
わざわざ赴いた旅やイベント(という動画)や、
今週の30分のアニメがつまらなかったりすると「返してくれ」。

見たものがつまらない動画だと、とてもがっかりします。
それは30分の動画を見ることがすなわち、30分の人生だからでしょう。

一方、面白いと、何回も見てしまいます。
だって、そうすること自体が楽しい人生なんですから。

動画の時代とは、その部分だけ自分と他人の人生を差し替える時代、というか
見る動画の数々に、自分の人生をのっとられる時代なのではないでしょうか。

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2009年4月30日 (木)

食べられて生きていく

Dvc40252  これは植林の最先端、「木の赤ちゃん」です。ひょろっと20センチくらい、竹の棒にヒモでゆるく結ばれて、強風もなんとかしのげるね、っていう感じ。
 木って、植林って、種を植えるんじゃないんですね。苗木を植える。苗木屋さんが種から育てるんでしょう。挿し木という方法もあるみたいです。
 植物は不思議です。何が不思議かって、自分の交配は虫や風や鳥にまかせ、自分自身の体に食われる実を作り、動物に食われて生きていく。
 自分は何を食うかというと、環境を食っている。二酸化炭素と水と光ででんぷんをつくる。根から水や窒素やリンを吸い上げる。空気と水と光で生きていく。生まれたときから、人が作ろうと必死の燃料電池や太陽光発電装置+有機物製造装置を持っているような。有機物製造装置は夢でしょう。そしたら田畑がいらないですね。
どこらへんから動物と分かれたんでしょうか。半動半植のミドリムシだという人もいます。でも系統図を見ると、そのずっと前に分かれているみたい。
生態系では、上に君臨している動物の方が、植物より進化しているのでしょうか。そのわりにはいつも飢えて食い物を探し回り、あくせく働いている。人間にいたっても、いつも景気や天候を不安視して、誰かが飢えている。
食われて生きる植物はしかし、痛みは感じないみたいだし、水がなければ枯れればいいや、葉を動物に食われても、また青々としたやつを生やしてくる。まるで本当の体はどこか別のところにしまってあるみたいに。
植物と動物のどっちの戦略が、成功したのか・・・。意外と、明らかじゃありません?

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2009年3月31日 (火)

「メモの達人」による超高性能外部記憶装置・メモ

Memonotatsujin メモ。考えてみれば、人生はメモとの格闘です。

それは、いつでもどこでも超高速でアクセスできて、
何でも書き留めることのできる、あるいは
何でも読み出すことのできる外部記憶装置についてのことだからです。
そしてそこに書き込まれる情報は短いものでないと、私たちは使いこなせません。

どんなに人生が膨大でも、
目の前の人生最先端は、5センチ四方が2秒で切り替わっていく
マンガの一コマみたいなものです。

私たちは、その一瞬の一コマ「刹那」から必要なものを書き抜いたり、
かつて書き留めた大切なことを、その刹那に投入したりすることになります。
なぜなら、書き留めないとほとんどのことは忘れてしまうし、
要約して短いフレーズにまとおめておかないと、行動に移せないからです。

刹那に対応できるのは、メモです。
でも刹那を書き留めるにも、書き留めたメモを刹那に投入するのも、
かなりの準備と技術が必要です。
いつのまにか来て、あっという間に去っていく5センチ四方の刹那の前では、
たいていの準備は泥縄になってしまいますから。

メモの達人」(矢矧晴一郎著、インデックス・コミュニケーションズ)という本を読みました。
目次は以下のようになっています。

第1章:メモの取り方を使い分けよう
第2章:手帳の書き込みを磨き上げよう
第3章:メモ・手帳に役立つ「圧縮の技術」
第4章:メモは「知恵カプセル」
第5章:新しい視点から見るメモと手帳
第6章:運命をメモと手帳で切り開け

メモに凝る人、というのはあまり聞きませんが、手帳に凝る人はよくみかけます。
でもそれは、結局メモに凝ることと同じで、
もしハードである手帳だけに凝るのだとすれば、「ソフトなければただの箱」を地で行くようなものです。
本書でも「手帳の選択に力を入れるのもよいが、私はむしろ手帳への書き込み方の方が重要だと思う」とあります。

私は「圧縮の技術」を目当てに本書を買いましたが、
書かれてあるメモの意味に、とても感じ入りました。
この本を読んだ人の行動は、私を含めてたぶん変わると思います。
それほど、大きな意味を含む本です。
一読をお勧めいたします。

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2009年2月27日 (金)

新富町階段物語

Dvc40097 東京メトロ有楽町線は、
だいぶあとからできた路線なのでしょうか、
地下のかなり深いところを走っています。
ということは、その各ホームから地上までは
鉛直方向にかなりの距離があることになります。

スピークマン書店があるのはその有楽町線の新富町駅。
地上に出る2番出口までの階段は、
エスカレーターを使って降りた所からでも74段あります。

1、2年前、反対側に地上との間を往復するエレベーターができましたから、
遠回りをすれば、機械が労力を代行してくれるわけですが、
新富町側に来る人のほとんどは、こちらの階段を使います。

現在スピークマンが入っているビルは5階建て。
その階段を数えてみると全部で60段です。

5階まで上がるには、5-1=4階差分の段数を昇りますから、
1階上がるのに60段÷4=15で15段です。
つまりビル1階分に相当するのが15段。

だから、新富町駅の74段の階段を昇るということは
74÷15(1階分の段数)≒5で
ビルの6階まで歩いて昇るのと同じだということになります。

うつ病の人を励ましてはいけない、とも言いますが、
階段を昇るところにもし
「この階段はビルの6階分あります。頑張りましょう」
と書いてあったら、健康な人でも足が動かなくなるかもしれません。

逆に数年前、階段の途中で休んでいた叔父のように
これではいかんとスポーツジムに通うようになって、
問題なく昇れるようになる人が出てくる可能性も。

銀座から昭和通りを渡って地上を歩いてくるときも、
銀座二丁目東側や新富町に来るところだけ
歩道橋を渡ることになりますから、
あらためて健康にいい町として売り出すこともできるでしょう。

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「東京人」4月号(2007年)
月刊誌■月刊誌★特集「東京は坂の町」七つの丘の坂道を歩く/タモリの東京坂道ベスト12■対談「陣内秀信×西河哲也」
スピークマン書店 1冊から作るインターネット書店&出版社
10万円代で自費出版、3万円代で絶版本を復刊、流通・在庫本の「販売」
・価格はモノクロ200頁の単行本のデータ製作例、写真は製本例
・購入希望がある度にデータから1冊ずつ製本オンデマンド出版
・ご希望の冊数を1200円(著者割引価格)×冊数で製本・配送
・もちろんカラー本も製作(カラー本は数十冊単位がお徳です)
・自分の本を販売する個人書店型ホームページ月々1200円あり
主人公の性別や年代、出身地、国籍等で自分の本を探せます。
104-0041東京都中央区新富2-2-5新富二丁目ビル5階
スピークマン書店はこちらです TEL 050-3418-9011

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2009年1月31日 (土)

ベターハーフ

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アメリカのオバマ大統領は第40代。白人と黒人の半々なのに黒人だと称しているけれど、ハーフです。歴史上、相反する肌の色が、ハーフとして融合したことはなかったということでしょうか。

一方、第124代の昭和天皇。戦前の軍国日本と戦後の平和・高度経済成長で、印象としては陰陽半々。今年は亡くなってからもう20年ということです。写真(今年・平成21年1月14日撮影)の武蔵野の天皇陵の大きさを見ると、それはやっぱり小型の古墳で、神武天皇以来の神話がまだ生きているといえるでしょう。最大の平和と最悪の戦争という相反する現実が、神話性を強調しているようにも思えます。

奈良県橿原市に陵墓のある(といわれる)初代神武天皇が即位したのが西暦でいうと紀元前660年2月11日。古田武彦氏の学説(スピークマンのエッセイで中野氏が関連エッセイを掲載中)によれば、神武天皇は実在したということですから、神実半々の世界。

異質なものが半々でひとつになって存在する、というのは、不思議な印象を人に与えます。数学的には、左からみるとマイナス1で、右から見るとプラス1という数は存在しません。左方極限と右方極限が一致しない数は存在できない。マジンガーZに出てくる男爵・右から見ると男で左から見ると女、みたいな生物は存在できないわけです。

 そういう意味で、すでに神話化されているオバマ大統領が、もし現実を神話化できなかった場合、大変なことになるような気がします。つまり、アメリカという神話が危うくなる。

 先進国は、より付加価値の高い製品の開発・製造に産業構造を改革していけば、製造コストの安い途上国を含めた世界は、永遠に発展できる・・・。これまで見てきたそんな夢が、戦争もせずに自由貿易体制を引っ張ってきたのではないでしょうか。

先進国側が漠然と持っていたその希望=神話が次第に追い詰められ、分が悪くなった製造業を諦めて金融に走り、そしてその金融帝国構想が昨年崩壊した・・・。

発展途上国がみな這い上がってきた後、世界を待っている「現実」は、はたしてハーフになるのでしょうか。

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2008年12月29日 (月)

『死者のゆくえ』を訊かれたら

Shisyanoyukue  岩田書院の『死者のゆくえ』(佐藤弘夫著)は、日本人と死後の世界との遠近感を、あるいは重なりを、きれいに整理してくれます。
たとえば、私たちは戦死した人の遺骨を海外に拾いに行くほど骨=遺骨を大切にしますが、それは、わりと最近のことで、平安時代には、霊魂を重視した結果、抜け殻である肉体については風葬のようなものでもあったこと。
中世においては彼岸という遠いところを目指し、そのための準備期間でしかなかった現世に、もう一度、死後の安穏の地を作り直したものが墓地であること、など、現代の私たちの行為に、整理した意味を与えてくれます。

「たとえば、記紀神話を考えてほしい。イザナミが死んで向かった黄泉の国は、イザナギが徒歩で赴くことのできる場所だった」
「『高名な修行者であり、浄土に往生したと信じられていた教信ですら、死亡直後にその遺骸を犬に食い荒らされるような状況にあった。ここにもまた、私たちは遺体に対する驚くほどの無関心を読み取ることができるであろう』」
「しかし、中世後期における世界観の変容は、当然のことながら人々の死や救済の概念にも決定的な影響を及ぼした。死後往生の対象としての彼岸世界の観念が色あせ始めたいま、死者の行くべき地は、もはやこの世と隔絶した遠い浄土ではなかった。人は死して後もなお、この世の一角に留まり続けるのである。その寄り代となったのが、遺骨でありその所在を示す石塔=墓標だった。」

 俎上には仏教や、キリスト教の世界観、現代人の墓参り希薄感などが並べられ、吟味されています。
いつかは必ず死んでいく私たちの最期には、きちんと整理された頭で、この世を去りたいもんであります。

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水辺と森と縄文人
解説★国立歴史民俗博物館・東北歴史博物館・新潟県立歴史博物館編■縄文時代の新しい年代観確立を背景に、木製品、漆製品うあ水場遺構などが残る低湿地遺跡を取り上げ、縄文文化像を再検討する展覧会のパンフレット。
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