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2007年1月21日 (日)

長い化け物の話--出口裕弘トークショウ

Dsc_0469 今回のブログは、先日行われた出口裕弘氏のトークショウについてです。

1月10日水曜日、東京は銀座の隣り、新富町も晴れ渡っていました。
年始の強い低気圧の風が少し残っていたでしょうか、でも夕方になってもさほど寒くない。

6時を少し過ぎたころ、「私は、東京の日暮里町で生まれました」、
そんな言葉で、出口氏の七十年以上の「都市の記憶」を出席者がなぞる試みが始まりました。
「東京は、昭和7年まで15区しかありませんでした。私が生まれた昭和3年は、日暮里町という町は、東京15区である『下谷区(したやく)』のちょっと北、15区の外だったんです。それは昭和7年に荒川区になりました」
「荒川区は、隅田川のこっち側ですが、同じくこっち側の浅草区や日本橋区とは比ぶべくもない。本所区や深川区は向こう側ですが、そっちの方がぜんぜんいいですよ。ちゃんとした江戸でしたから」

 明治11年に下谷区、浅草区、日本橋区、京橋区、本所区、深川区…の東京15区ができました。
この15区は、江戸八百八町を大よそそのまま、新しい行政区に繰り入れたもので、江戸そのものです。
このとき、日暮里町は下谷区のちょっと北、地図でいえば1ミリ上。つまり「江戸」ではなかったのです。
昭和7年、15区はそのままに、その外側に広がるように、荒川区、向島区、城東区などができて、合せて35区となりました。
さらに戦後すぐの昭和22年、浅草区と下谷区が台東区に、日本橋区と京橋区が中央区に、本所区と向島区が墨田区に、深川区と城東区が江東区に・・・という形で23区となりました。
ここで「江戸」の町名は崩れます。焼け野原とともに、古地図の中の記憶となります。

 自分が何者であるか。
このブログを書く私や、読んでいる皆さんは、物心がついたころからの記憶がかなりの程度一貫していて、自分というものを保っているわけですが、その記憶には、住む土地や風土、人々の生活が刷り込まれます。
自分を知るには、住んでいるところの記憶が欠かせないのです。
「そういやー札幌だったな。だから俺は味噌ラーメンが好きなんだ」みたいな。
免疫系や遺伝子とは別に、自分の好きなもの、嫌いなものの記憶が、自分自身でしょう。
自身を好きかどうかは別にして。

 でもその土地の歴史や風習は、口や手で代々教えてもらわないと分らない。記憶を持てない。
なぜそれが好きなのか。魅かれるのか。
したがって、敗戦でそれまでの好き嫌いの継承が断たれたあと、それ以前の自分を、私達は失ってしまいました。
かろうじて年配者の記憶に残っている自分を、今回の会のような機会になぞって、自分の記憶に移植し、自分をおぼろげにつかむ、という作業をする・・・。

 出口氏はボードレールの翻訳など、仏文学者としての名が一番通っているかもしれません。
しかしそれは氏の一面で、「京子変幻」を始めとする小説家でもあり、最近は三島由紀夫、太宰治、坂口安吾の独自の評伝を書いてきました。
 そして氏の、おそらくライフワークである「都市」、中でも東京。

「バブルの終わる頃まで、東京は拡大しました。いわゆる『東京もの』の本がいっぱい出ていました。
いったいこれから東京はどうなるんだろう。
でも、今では東京ものは本屋の店頭からすっかり消え、この数年は江戸ものがたくさん出ています。
要するに、東京は膨張をやめ、その内側を見直すようになったのです」

 たしかに。人口の都心回帰、丸の内や日本橋の新しい展開が実際に起きています。
日本橋の上の、断絶に寄与した、あの長いお化けも、あの世に帰るときが来るようです。

 でも、氏が語る東京も、まるで長い化け物のように見えます。
 生まれた「江戸」のはずれ、2・26事件のラジオと戦前、戦争、焼け野原と敗戦、高度経済成長、そしてバブル、その崩壊と失われる昭和、さらに都心回帰と新しい高層ビル群・・・。
そこに、9年間生活した札幌や、1年半歩き回ったパリの、演歌から切り抜かれたような青函連絡船や、さほど断絶しないですんだ石造りのヨーロッパの記憶を差しはさみながら、変貌を続ける東京を探検し続けた七十数年間を、氏は語ってくれました。

 長い記憶を持てるようになった生物は、生きのびるのに成功した後、より幸せになるために、自分探しを次の目標にするのかもしれません。
歳を重ねた人がそうであるように。また、ニホンウナギが次の世代を残すために、太平洋のスルガ海山に帰るように。
--伝えなくてはならない。残さなくてはならない--
そんなとき、バブルで古い町を、記憶を失い、若者を雇用しなかったために、技能の継承も危うくなった。
自分たちの記憶を失いかけた人々は、文明開化で断絶する前の江戸時代に、自分のルーツを求めた・・・。
 もしそれを再確認し、継承していく方法を見つけ、アメリカ以外の方向もみつけて、ハンバーガー以外を食べたり作ったりする記憶を持てる道がみつかれば、再び活気を取り戻せるかもしれません。
 そのためにも年配者は自分の記憶を、若者にどうしても伝えなくてはいけないのではないでしょうか。
でないと、新宿も池袋も有楽町もまったく同質のMACHIになっていく現在、私達は自分が何者であるのか分らず、いつまでもただ、おろおろするばかりです。

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関東取締出役 シンポジウムの記録(岩田書院)
解説★関東取締出役研究会 編(代表:多仁照廣)■文化2年に関東地域における無宿・悪党を取り締まるため、江戸幕府から任命された関東取締出役(しゅつやく・でやく)の実像に迫る。
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