動画の時代
ユーチューブの成功が物語るように、
インターネットも、静止画でサイトを飾る時代から
動画を載せる時代にしだいに変わりつつあります。
でも人生がもし、痛みや快感つきの動画であるとすれば、
自分の人生のほとんどが退屈な、あるいは不安な、
また他人の欲を満たすために仕事で苦労している日々の動画で、
それを何十年も見続けていることになります。
この動画を支配しているのは、たまーに起こる快感への希望でしょうか。
休憩時間は夜にやってきて、パジャマに着替えますが、
休んでいても動画を見ることもあります。夢というやつです。
結局、寝ても覚めても動画なのであります。
自分が動画なのですから、仕方ありません。
私たちはこれまで、静止画を大事にしてきました。
アルバムに貼って、折を見ては見返したり、
携帯の待ち受け画面にしたり、額に入れて居間に飾ったり。
この100年間、静止画は、動画である人生の一部を切り取った、手軽に扱える思い出でした。
一瞬は、100倍してもやはり一瞬で、取られる側も見る側も一瞬ですみました。
でも、動画はそうはいきません。
時間もかかるし、エネルギーも使う。
つまらない写真・静止画は、黙殺すればすむのに
わざわざ赴いた旅やイベント(という動画)や、
今週の30分のアニメがつまらなかったりすると「返してくれ」。
見たものがつまらない動画だと、とてもがっかりします。
それは30分の動画を見ることがすなわち、30分の人生だからでしょう。
一方、面白いと、何回も見てしまいます。
だって、そうすること自体が楽しい人生なんですから。
動画の時代とは、その部分だけ自分と他人の人生を差し替える時代、というか
見る動画の数々に、自分の人生をのっとられる時代なのではないでしょうか。
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