不思議なともし火
美術館でも画廊でもそうですが、
絵は、明るいところで見るのが当たり前です。
そうしないとカラフルな絵がカラレスになりますから。
でもこの6月末に開かれた
「TOKYO MiLKY WAY」は、
そんな常識を吹っ飛ばしてくれました。
「私達は、東京都心で銀河を観られるように、
ネオンで覆われた街に美しい光を取り戻すような
豊かなライフスタイルを提案します」
という「100万人のキャンドルナイト 2009夏至」
は、環境ボランティア系の催しのようですが、
銀座でも、燈した蝋燭の灯で画廊の絵を見る企画として実現、
もう何回もやっているんだそうです。
私は、銀座1丁目のギャラリーツープラスの画廊主に、
「引率する人間が足りないからやってくれないか」と
誘われて、参加することになりました。
昔の西洋・中世では、教会の中の美術品を
蝋燭の灯で見ていたということですから、
暗闇に灯を燈して見るということは、ふつうに行われていたのでしょう。
考えてみれば、見る側の見方や気持ちや価値観を
絵の中に織り込んで、それを美術史として発展してきたのが西洋美術でしょうから、
もし、蝋燭で彩度の落ちた絵を個性的に描けば、
新しい画風になるかもしれない、そんな想像もできる企画でした。
昔の西洋人は、夜、蝋燭の燈された教会を出れば、
真っ暗闇の空には天の川がかかっていたでしょう。
中世の絵はみなキリストの物語でしたから、
夜空に横たわる川と教会のキリストの絵と蝋燭は、
死後の世界や神と結びついて、人々の信仰と切り離せないものになったでしょう。
蝋燭で見た銀座の絵には、天の川と信仰が足りませんが、
かつての演出効果を楽しめるすてきな夜になります。
「ボランティア」と「キリスト教」は結びついているんでしょうから、
東洋の果てにやってきたキャンドルナイトに、
こういう効果が出るのは「必然」なのかもしれませんが。
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